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私生活やら時事問題やらここ一ヶ月あれこれ

2011年05月05日 22:41

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、月日が経つのは速いもんで、「俺のことも忘れてんだろうなぁ」と思いつつ親父の病室に入った瞬間、「おお!」と頭を起こし「俺は動けねえから、お前一人でやれよ。でも日にちが足りねえでなあ」と言った瞬間から話し込んだ十五時間強は、一週間くれーに感じたんですが。
僕ぁ当初四月十八日に帰省する予定でして、やることは去年、曇りと寒さで塗り残しがあった実家の屋根にペンキを塗ること、庭を広げて躑躅の苗を植えることでした。
僕が急遽帰省したのは四月八日ですから、親父は混濁した意識でありながら僕が四月十八日に帰省するのを心待ちにしていたのを理解しました。
「親父、今日はまだ八日だ。半月以上あるから大丈夫だ」と言うと「ああ、そうか。なんとかなるだろう」と親父は答えました。
若干、時空間の認識が乱れたやりとりですが、脳梗塞と貧血及び酸欠で九十歳代の脳まで萎縮しつつコミニュケーションがとれたのは、亡くなるまで脳幹に傷が見当たらなかったからだと思います。
南茅部の若い衆は誰しも頑強な体を持っとりますが、親父はそれに加えとにかく気持ちが強いしとでした。

 関東のしきたりじゃ四十九日後に香典返しをするよーですが、うっかり忘れると取り返しがつかんので、建設会社にいた頃一緒に働いた仲間からの香典返しを送れば一段落です。
ついでに、衰弱しはじめた七年前から食い物でもなんでも親父のために発注してましたが、これからはお袋どんのために色々してあげよーと思っとります。
お袋どんもまだ日常生活に支障はねーものの特定疾患患ってますから。
んで、母の日にカーネーションを送ろうと「今週中に宅急便が届くけど俺が頼んだもんだから」と電話したところ、「元気だった頃の遺影を見ても寂しい。身の回りの世話をしなくちゃならなかった頃のお父さんを見たい」と。
人間、張り合いが無くなると急速に弱くなるもんです。
んなわけで、携帯電話のカメラ機能で撮影したもんですが、衰弱しつつもまだ血色が良かった頃のデータがあったんで、Photoshopで色彩やらを調整してプリントしたもんをフレームに入れ薄紅色の風呂敷に包んで送ることにしました。

 親父の容態悪化と亡くなるまでは、奇しくも東日本大震災及び福島第一原発事故がシンクロしとります。
帰省する前日に宮城沖で余震が起き、六ヶ所村にもトラブル発生か?と深夜故に情報が錯綜したりで「おい、六ヶ所村で事故が起きたら帰るどころじゃねえぞ!」と電車の運行状況と併せて寝ねーで続報をチェックしとりました。
んで、亡くなった四月十一日にはまた余震で、福島第一原発の危険度がチェルノブイリと同じレベル7に認定されました。(正式には四月十二日に報道された。)
事故発生時から海外じゃ(日本語版サイトではなく本国のサイト。)「規模からレベル6が予想される」と報道されとったのに、政府は「レベル4だから、ただちに~」でしたから。
そのため、TVの情報を鵜呑みにしとる地域ながら、再び震災や原発事故の話題がのぼりました。んで、葬儀が終わるまで故郷のしとじとからニュースじゃやらねー話を色々聞けました。

 まず、炊き出しやらのボランティアが北海道から赴いてねーよーに報道されとりましたが、しっかり行っとります。
石巻市に地元の漁協連が団結して行ってきたと。ジェネレーター(灯油で発電する機械。)で電力を確保しとる地域です。こり、二次災害がありまして、一酸化炭素中毒で入院したしともいます。
んで、最近「被災地に派遣された自衛隊が心身共に限界」なんて報道がありましたが、ネット上で「軟弱だ」みてーな意見を目にします。

「じゃあ、テメーが行きな」

です。
TVやらで震災直後の映像が流れましたが、それでさえ以前書いたよーに「戦争でも起きたんか!」と愕然としました。
が、やっぱあんなもんじゃねーと。
滞在は数日ながら「あれはTVじゃ放送できね。わいやだ(滅茶苦茶だ。)」と。
僕の特技は横丁の物書きですが、小説を書くときに重要視しとるのが「視覚だけではなく臭覚をいかに文章に練り込むか?」ですから、TVやPCの画面越しに目にするもんは海外の「日本じゃ報道できんな」っつー写真やらを遙かに凌駕しとると思っとります。
あと、母方に自営で配電中心に仕事しとる叔父がおります。
道南の仮設住宅だけでも突貫だそーです。TVじゃ「こういった設備です」と入居者に説明しとるとこしか報道してねーですが、電話のモジュラージャックのカバーやらが調達できねーために関東以西から取り寄せたりで作業がはかどらんと。
また、被災地から避難できねーしとじとのために現地に仮設住宅を建てるために同業者が赴いたそーですが、まだ余震が頻繁に起こってた頃で全く仕事にならなく期限が来て帰らざるえなかったとも聞きました。
土木と建築を同列に考えとるしとは多いと思いますが、土木は1cmくれー設計図よりずれてもなんとかできます。
が、建築は1mmでも誤差があると完成した際に「ドアが閉まらない」やらトラブルが発生します。
そのため、余震で誤差が生じると仕事にならんわけで、撤退を余儀なくされたチームもあったそーです。

 これまたTVやらで報道されてねーですが、太平洋沿岸で漁業を営んでた漁師一家が故郷の漁協や網元が消滅して失業したため南茅部に移住し再出発しとります。
他、品種改良で北海道でも米は育ちますし、廃業した農家が多いんで、内陸部で再出発してもえーと思うんですがね。
ただ残念なのがっつーか「世論を味方につけてテメーがよけりゃいいのか?狂ってるぞ」と思ったのが、被曝しとるブランド牛、しかも妊娠しとるのを買い取った牧場があったことです。
幸い、乳製品を主に製造しとる十勝地方じゃなかったんですが、チェルノブイリの際、危険地域の被曝した家畜を殺処分したのに、現ベラルーシで乳製品からの内部被曝で国民の寿命を縮めた事実があるのに種付けや食肉に使うのは狂気の沙汰です。
他、「被災地の痛みを全国で分かち合いましょう」みてーに放射線物質を含んだ瓦礫を各都道府県で処分する方向に向かってることなんかがアホみてーです。
島国であるだけじゃなく、総面積が狭い日本でんなことしたら、被災地、特に原発事故が起きた福島県が故郷であるしとらは差別っつーか同じ日本人同士で恨み節の応酬じゃねーかっつー。(たまに報道される福島県からの避難者差別は、多少はあれどもメディアの誇張と思っている。)
ここまでくると、音楽やらなんやらで「頑張れ日本!」とかじゃなく、僕ら市井のしとじとも一念発起して行動しなきゃならんと思うのです。
僕ぁ南茅部を故郷とする人間です。南茅部の人間は強いのです。そして日本人です。
政府やらがアホなことばっかしたりのたまったりしとると、その気骨を持って「国難」じゃなく「民族の危機」を乗り越えなきゃならんと考えるのです。

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