2ntブログ

--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

俺は津軽三味線が好きだ。んなわけで、映画『竹山ひとり旅』

2011年01月25日 23:36

【今回は東北弁、特に津軽弁が頻繁に登場します。初代・高橋竹山に敬意を表し。】
(酔いつぶれなければ津軽及び東北弁の箇所は最後に標準語に翻訳したテキストを掲載します。)

ベベーン!...ベベベベンベンベン!ベベン!

ざっぱーん!(波の音ですね。)

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、わの生まれは北海道のさびれだ漁村せ。
だども、お父の仕事が内地だはんで物心ついだ頃には東京さいだ。
それが、なんの因果かまだワラスの頃に故郷に戻ったんだ。
ほれ、田舎だべ?内地、特に関東から来た転校生ったらいじめのターゲットさ。
おがしな話だえな、都会から来たやづば「プライドたげぇ。いい気になんな」だなんて言うくせに、一番プライドが高ぇのは田舎のやづらだ。
わが自活するために地元ば離れだ理由の一つだども、ワラスの頃から悪知恵だらあったすけな、いじめられねようにする方法はすぐわがった。
郷には入れば郷に従えって昔の人はうめぇごど言ったもんだね。
故郷に戻っただけでねぐ、わしは婆っちゃに預けられだ。したはんで、故郷の方言は昼間は学校、えさ帰ったら婆っちゃからってわげで英才教育さ。
わの故郷っていろんたとこから人が移住してだ。
例えば、お父のご先祖様はは北陸から来たし、お母のご先祖様は九州さ。
お父は越中の富山衆がルーツだったえんたども、お母は由緒正しき武家だって話だ。

 不思議だもんで、わの故郷はいろんた方言が入り交じってだども、津軽、南部、それだげでね、ぐっと下がって宮城、岩手、福島の方言もあるべし、日本海に顔ば向げで新潟あだりの匂いもあるでな。
だども、津軽から嫁っこば貰ったえが沢山あったすけ、津軽弁がベースになったんだべな。南部の方言もよぐ使うけどな。
津軽から嫁ば貰ったえは羨ましがられたでな。
オメ、漁師して魚ど昆布ば採ってだで、嫁の実家からはアッパが林檎だ米だって冬になれば送ってくんだもの。
同級生でお母が津軽から来たえさ行けば、店で買えねえんた甘くも酸っぱくも、とにかくめえ林檎がおやつにでだでな。あえんた林檎はもう四半世紀は食ってねえな。

 あれ19の頃だべか。
最初、「わだば就職しねで音楽ばやる」ってお父に言ったっけ、うすらはんかくせえ呼ばわりされで怒鳴り散らされだっけな。
ところが、テメで稼いだじぇんこで大層なギターば買ったっけ、お父が話して聞かせでけだんだ。
なんでも、傍系だべども、まなぐの見えねえ縁者がいで、津軽三味線が大層達者だったって。それで「オメもじょんから節や越後獅子でもギターで弾けるようになれ」って。
そいえば、高橋竹山もまなぐが見えなかったなって。
いや、わが19の頃ったら、津軽三味線ったら既に伝統芸能えんたもんだ。
それで、辺鄙などごに住んでたから生で観ることはできねはんでども、津軽三味線ったら道南だら高橋竹山さ。
ところがだえ、本だの読むとなんもかもね。わいやな人生だね。
三味線は三味線でも津軽三味線ってのは、生きるための芸から始まったんだって。
何年だか前、吉田兄弟ってのが海外でも有名になったえな。
確かに音もいいし、オラだぢえんたやづにもとっつき易い曲もある。
これは個人の好みだから、偉そにくっちゃべる気にはならね。
だども、高橋竹山の三味線だば、強烈なボディ・ブロウえんた音もあれば、あんれ、なんて柔らけくて流麗な三味線だべなって驚かされる。
その、高橋竹山の伝記映画がこれさ。


tikuzan9992.jpg『竹山ひとり旅』
(1977年公開)

監督:新藤兼人
主演:林隆三
出演:高橋竹山(特別出演)
乙羽信子
金井大
倍賞美津子
島村佳江
観世栄夫
根岸明美
川谷拓三
戸浦六宏
殿山泰司
川口敦子
佐藤慶
高橋竹与(現・二代目高橋竹山)



 はい、僕がこんなクソ真面目な映画について書いてええのか?って感じですが、今日の記事は映画だけじゃなく、CD、書籍にも及びます。
なので、説明があんま親切じゃねーんで、興味があるしとだけ観て読んで聴いてください。
そーいった気が起きねーなら、スルーしてください。(偉そうに書いているわけではなく、映画は全て津軽弁だし、書籍も高橋竹山が口述した津軽弁を極力読みやすくしたものなので。)

 この映画、色々勿体ねーです。
まず、津軽の風景やらが素晴らしいです。
tsugaru00.jpg

tsugaru04.jpg

が、インディーだからかフィルムの保存状態がよろしくねーみてーで、音声なんかもノイズが混じっててリマスターして欲しいです。

 高橋竹山は、物心つくかつかねーかの頃に麻疹によって半失明になった三味線弾きです。
彼の口述を整理した自伝『津軽三味線ひとり旅』と本作でも同様のことが語られてます。

「麻疹にかがったら風邪ひかせだらわがんねって、暖かくさせだらのぼせでな。まなぐば開げだら星がみえでだ」


えー、本来であれば解熱しなきゃならんのに逆効果のことして失明したと。
が、「当時の医者はそえんたもんだ。盲腸の手術もできねんだもん」と自身が視力を失ったことを恨んでるよーな発言はねーです。
「オラだけでね。周りで五人も六人も盲(メクラ)になったのがいだ」と。

 関西における芸者なんかが弾く三味線は芸として認識されとりましたが、津軽三味線はそーじゃない。
上述のよーに医学が発展してねー上、ドドドド田舎なんで視力を失うしとが沢山いたそーで、そーいったしとは「ボサマ(坊様。津軽弁は名詞や動詞を一文字略す傾向がある。)」として三味線の弾き語りをする門付け芸人として、民家の前で弾いて歌って恵んで貰ってたっつー。
つまり、生きるために弾いてたわけで、現在のよーに伝統文化じゃなかったわけです。
歌舞伎も似たとこがありますが、もっと賤しい存在です。

 本作じゃ母親が「この子は耳がいい」と気付き、「メクラはボサマにならなければ」と三味線を買い与え、同じ境遇の三味線弾きに弟子入りさせます。
が、自伝によると、「ボサマの後をついて歌や三味線を聴くのは好きだったが、ボサマになるのは嫌だった」と記されております。

てかね、乙羽信子演じるオカンが出過ぎ。
監督が「低予算でも優れた作品は撮れる」っつーしとだったみてーなんで、地震で命からがら生き残ったエピソードや、満州時代のエピソードが割愛されるのは仕方ねーとして、高橋竹山の名を不動のものにした存在である佐藤慶演じる成田雲竹をラストにしか登場させねーのはどーかと。
三味線買ってあげたり、初婚や二度目の結婚、半ば失踪状態で嫁と行き先を探ったり、全然「ひとり旅」じゃねーだろっつー。
高橋竹山はボサマで東北・北海道を練り歩いた二十歳くれーの頃から成田雲竹の美声を知っていた発言があり、映画の最後(40歳前後。)に「成田雲竹です。私の歌に三味線を弾いてください」っつー展開は唐突すぎるかと。
でも、ええ映画だと思います。盲目=気弱、博愛、コンプレックスと偏見持っとるしとが多いと思いますが、ガキの頃からやんちゃだったことを考えると林隆三のワイルドな雰囲気は嫌いじゃねえと思います。

 ともあれ、Soul Kitchenとブログのタイトルにしつつ(サイトを開設しても同様の名称にするつもり。)ドアーズの代表曲の一つから拝借でもありますが「Soul」は外せねーな、と。
音も言葉も、僕ぁ絵を描いたり写真に情熱を注ぐこたぁねーですが、何事も巧拙以前に「いかに魂にうったえかけるか?また、どれだけ己の魂を叩きつけるか?」と思っとりますんで。
なお、CD聴くなら1963年に発表されたアルバムのCD版『源流・高橋竹山』がええと思います。
昨今、ベスト盤をリマスターしたもんもありますが。
genryu.jpg

hitoritabi.jpg
(冒頭訳)
 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、僕の生まれは北海道の寂れた漁村です。
が、親父の仕事の関係で物心つく頃には東京住まいです。
それが、なんの因果か再びガキの頃に故郷に戻りました。
ほら、田舎じゃねーですか?本州、特に関東から来た転校生っつーといじめのターゲットにされるわけです。
しかし、イカレた話です。都会から来た奴は「お高くとまってらぁ。いい気になんなよ」と言うくせに、一番お高くとまってんのはド田舎の奴らっつー。
この点が、僕が地元を離れた理由の一つですが、僕ぁガキの頃から悪知恵はありましたから、いじめられねーのにどーするか即座に把握しました。
郷には入れば郷に従えっつーやつですね。
なので、故郷の方言は昼間は学校の同級生との会話、夜は祖母との会話でした。英才教育ですね。
されとて、故郷は色んなとこから移住してきた人がおりまして、父方は北陸は富山の越中衆が起源、母方は結構な武家がルーツとのことでした。

 やー、不思議なもんで、故郷は様々な方言が混在しとりまして、同じ青森でも津軽、南部だけじゃねーです。ぐーっと下がって宮城、岩手、福島の方言もありますし、日本海を向けば新潟あたりの方言もあります。
が、津軽からカミさんをもらった家が結構ありましたんで、津軽弁がベースになったと思われます。
南部地方の方言もよく使いますけどね。
津軽から嫁を娶った家は羨ましがられました。
アンタ、漁師してお魚さんやら昆布を採って海の幸に困らねーのに、カミさんの実家からお袋どんが林檎だ米だって送ってくれんですから。
同級生の家に遊びに言ってですね、ママが津軽出身なら、フツー流通してねー美味しい林檎がおやつにだされたわけですよ。もう四半世紀もそんなん食ってねーです。

 ありゃ僕が19歳の頃ですかね。
当初「俺、就職しねーで音楽勉強すっから」って親父に言ったら、気が狂ったのかと言われてですね、怒鳴り散らされたもんです。
が、テメーで稼いだ金でフェンダーUSAのストラトキャスターを買いましたら、親父は遠縁ながら盲目の津軽三味線弾きが居たと。
んで「津軽じょんから節や越後獅子をギターで弾けるようになれ」と。
そーいや、高橋竹山も盲目だったな、と。
もうね、僕が19の頃から津軽三味線って伝統芸能と思われてましたから。
んで、ドドドド田舎ですから生で観られませんでしたが、津軽三味線っつーと道南じゃ高橋竹山なわですよ。
しかーし!自伝を読むと、しっちゃかめっちゃかで、ぶっ飛んだ人生っつー。
三味線っつっても津軽三味線は、その日暮らしの飯やらを恵んで貰うための芸が発端なんだって。
数年前、吉田兄弟っつーのが海外でも有名になりました。
確かに、洗練した音ですし、若者でも取っつきやすい曲があります。
ここいらは個人の趣味・嗜好なんでとやかく書く気はねーですが、高橋竹山の津軽三味線っつーのは、強烈なボディ・ブロウみてーな音もあれば、正反対に優しげで流麗な音もある。

そんな高橋竹山の伝記映画が本作なわけです。


<三味線じょんから(新節) - 初代・高橋竹山>

にほんブログ村 映画ブログへ
にほんブログ村
関連記事


コメント

    コメントの投稿

    (コメント編集・削除に必要)
    (管理者にだけ表示を許可する)

    トラックバック

    この記事のトラックバックURL
    http://soulkitchen03.blog.2nt.com/tb.php/537-cdd59b73
    この記事へのトラックバック



    QLOOKアクセス解析