2010年11月15日 20:38
こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、過去の経験からくるもんですが、喫煙しなくなって不意に吸いたくなるのが五日目から一週間くれーです。
更に強い衝動は一ヶ月経過したあたりでやってきます。
んなわけで、最低一ヶ月、書く気があれば、うっかり喫煙しても「オエッ!」となる三ヶ月経過あたりまで禁煙日記を記そうかと思っとります。
【2010/11/15】
こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。という文体なら、「頭を切ってきますた」と書くところだが、美容室に行ってきた。
元美容師は居ても、現役の友人知人がいないため、毎回賭けに行くようなものだ。
髪型に特にこだわりが無いため、同じ店に予約を入れても前回と同じ美容師を指名しない。
いや、違うな。自分の見かけに、自分が思っている以上に良い仕事をしてくれる可能性があるから指名しない、が正しいな。
こだわりが無いのではなく、知識が無いのだ。
だが、オダギリ・ジョーがブレイクした頃、頼んでもいないのに「オダギリ・ジョー風にしました」と言われたときは愕然とした。それ以来、そこの店自体行っていない。
去年、ライブ用に内田裕也に似せた長髪パーマをかけたが、美容室を出た直後にイベント延期のメールが届き、結局イベント自体が流れてしまった。
一緒にやっているヴォーカルに「折角だから、自発的にどこかのイベントに出ようか」と打診したが、お互い十代のバンド小僧ではなくなり、一緒にやるならイベントの主旨とコンセプトがリンクするようなものでなくては、という合意に至った。
俺がもし、美男子だったならば、月に一、二度は美容室に行っていただろうが、そんな労力が報われない風貌に生まれたため、大体、半年に一度のスパンで通っている。
去年、冗談交じりに言った「内田裕也風に」という俺の注文に、美容師が真剣に長時間かけてくれたこともあり、一年以上放置していた。
今回は、近々友人の結婚式に出席する予定もあり、バッサリ切ることにした。
「レイヤー入れて、んー、かかりはランダムな感じで、パーマがかかったら毛足は首のあたりにくる長さで」
「かなり切りますけど?」
「いや、全然かまわないっすよ。パーマがかかりにくい上にすぐ緩くなるんで、強めでお願いしますよ。てか、(切った髪を)どっかに売れないかなあ」
「筆に出来そうですね」
そんなやり取りをして、パーマをかけている間、本を読んだ。
ここ十年、特にここ数年で美容室に来る男性客が増えたこともあり、以前はファッション誌とスポーツ誌だけだったが、最近は色々と用意してある。
「○○が読みたい」と言えば買いに行ってもくれる。だが「金を払ってる客だからな。わがままも当然の権利だ」と、店のスタッフを召し使いのように考えてはいないので、興味をそそる雑誌が無ければ持参した本を読むことにしている。
今回はレイモンド・カーヴァーを読んだ。
インターネット上で、チャールズ・ブコウスキーの愛称”ハンク”というハンドル・ネームを使っているのにレイモンド・カーヴァー。
一般的に、レイモンド・カーヴァーは村上春樹が翻訳して日本に紹介した詩人・作家と知られているが、ブコウスキーとカーヴァーには確執がある。
読書量が少ないといえども、何故か村上春樹の書籍は翻訳したものしか読んだことが無いので、「大御所のお気に入り海外作家」ではなく、ブコウスキーとの関係に注目している。
記憶が確かなら、ある放送作家に「ブコウスキーが好きで」と話した際、鼻で笑われつつ「まあ、文庫本が100円で売られてたらいい暇つぶしになる作家ですよね」と厭味っぽく言ったあとで「ブコウスキーが好きならレイモンド・カーヴァーも好きかも知れません」と言われ、手に取ったのが最初だったと思う。
確執について知る前だったはずだ。
ブコウスキーとカーヴァーの確執というのは、確かカーヴァーが講師を務めていた大学でブコウスキーが朗読会を行った際に、カーヴァーを小馬鹿にする挑発を行い、後日それに対しカーヴァーはその時のブコウスキーの発言等を皮肉った詩を発表した、と記憶している。
ただ、二人の共通点は多く、貧しい家庭に生まれ、社会的底辺を見つめ、それをテーマにした小説を書き、酒に依存していたことなどが挙げられる。
決定的な違いは、カーヴァーは若くして才能を発露し、アカデミックな地位に辿りつきつつ中年期に他界したが、ブコウスキーは共通する作風ながら、文壇とは縁が出来そうもないような猥褻な表現や口語体を主軸にし、大器晩成型だったことだろうか?
憶測だが、ブコウスキーは嫉妬しつつ評価している作家に喧嘩を売ることが多く、カーヴァーを小馬鹿にしたというのは「俺より一回りも遅く生まれたくせに、才能も俺よりあるし興味深い」と思っていたからではないか、と思っている。
よく、アレン・ギンズバーグを貶すようなことをエッセイで書きつつ、うっかり「敢えて言おう。現代において、ギンズバーグはホイットマン以来のアメリカにおける最高の詩人だ」と発言するような傾向があったので。
逆に挑発に乗って詩を書いたカーヴァーは精神年齢が幼かったのか、とも妄想できる。
改めて読み返したかった短編を読み終わり、用意された映画雑誌を手に取ると、ロバート・デ・ニーロのインタビューが掲載されていた。刑務所についてだ。
「本来、刑務所に入らなければならない人間が沢山いるのに収監されていない」
こんな内容だったと思う。
なんだ、日本だけかと思ったら、アメリカ、いや、どこの国でも同様か、と。
あー、過去の経験からくるもんですが、喫煙しなくなって不意に吸いたくなるのが五日目から一週間くれーです。
更に強い衝動は一ヶ月経過したあたりでやってきます。
んなわけで、最低一ヶ月、書く気があれば、うっかり喫煙しても「オエッ!」となる三ヶ月経過あたりまで禁煙日記を記そうかと思っとります。
【2010/11/15】
こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。という文体なら、「頭を切ってきますた」と書くところだが、美容室に行ってきた。
元美容師は居ても、現役の友人知人がいないため、毎回賭けに行くようなものだ。
髪型に特にこだわりが無いため、同じ店に予約を入れても前回と同じ美容師を指名しない。
いや、違うな。自分の見かけに、自分が思っている以上に良い仕事をしてくれる可能性があるから指名しない、が正しいな。
こだわりが無いのではなく、知識が無いのだ。
だが、オダギリ・ジョーがブレイクした頃、頼んでもいないのに「オダギリ・ジョー風にしました」と言われたときは愕然とした。それ以来、そこの店自体行っていない。
去年、ライブ用に内田裕也に似せた長髪パーマをかけたが、美容室を出た直後にイベント延期のメールが届き、結局イベント自体が流れてしまった。
一緒にやっているヴォーカルに「折角だから、自発的にどこかのイベントに出ようか」と打診したが、お互い十代のバンド小僧ではなくなり、一緒にやるならイベントの主旨とコンセプトがリンクするようなものでなくては、という合意に至った。
俺がもし、美男子だったならば、月に一、二度は美容室に行っていただろうが、そんな労力が報われない風貌に生まれたため、大体、半年に一度のスパンで通っている。
去年、冗談交じりに言った「内田裕也風に」という俺の注文に、美容師が真剣に長時間かけてくれたこともあり、一年以上放置していた。
今回は、近々友人の結婚式に出席する予定もあり、バッサリ切ることにした。
「レイヤー入れて、んー、かかりはランダムな感じで、パーマがかかったら毛足は首のあたりにくる長さで」
「かなり切りますけど?」
「いや、全然かまわないっすよ。パーマがかかりにくい上にすぐ緩くなるんで、強めでお願いしますよ。てか、(切った髪を)どっかに売れないかなあ」
「筆に出来そうですね」
そんなやり取りをして、パーマをかけている間、本を読んだ。
ここ十年、特にここ数年で美容室に来る男性客が増えたこともあり、以前はファッション誌とスポーツ誌だけだったが、最近は色々と用意してある。
「○○が読みたい」と言えば買いに行ってもくれる。だが「金を払ってる客だからな。わがままも当然の権利だ」と、店のスタッフを召し使いのように考えてはいないので、興味をそそる雑誌が無ければ持参した本を読むことにしている。
今回はレイモンド・カーヴァーを読んだ。
インターネット上で、チャールズ・ブコウスキーの愛称”ハンク”というハンドル・ネームを使っているのにレイモンド・カーヴァー。
一般的に、レイモンド・カーヴァーは村上春樹が翻訳して日本に紹介した詩人・作家と知られているが、ブコウスキーとカーヴァーには確執がある。
読書量が少ないといえども、何故か村上春樹の書籍は翻訳したものしか読んだことが無いので、「大御所のお気に入り海外作家」ではなく、ブコウスキーとの関係に注目している。
記憶が確かなら、ある放送作家に「ブコウスキーが好きで」と話した際、鼻で笑われつつ「まあ、文庫本が100円で売られてたらいい暇つぶしになる作家ですよね」と厭味っぽく言ったあとで「ブコウスキーが好きならレイモンド・カーヴァーも好きかも知れません」と言われ、手に取ったのが最初だったと思う。
確執について知る前だったはずだ。
ブコウスキーとカーヴァーの確執というのは、確かカーヴァーが講師を務めていた大学でブコウスキーが朗読会を行った際に、カーヴァーを小馬鹿にする挑発を行い、後日それに対しカーヴァーはその時のブコウスキーの発言等を皮肉った詩を発表した、と記憶している。
ただ、二人の共通点は多く、貧しい家庭に生まれ、社会的底辺を見つめ、それをテーマにした小説を書き、酒に依存していたことなどが挙げられる。
決定的な違いは、カーヴァーは若くして才能を発露し、アカデミックな地位に辿りつきつつ中年期に他界したが、ブコウスキーは共通する作風ながら、文壇とは縁が出来そうもないような猥褻な表現や口語体を主軸にし、大器晩成型だったことだろうか?
憶測だが、ブコウスキーは嫉妬しつつ評価している作家に喧嘩を売ることが多く、カーヴァーを小馬鹿にしたというのは「俺より一回りも遅く生まれたくせに、才能も俺よりあるし興味深い」と思っていたからではないか、と思っている。
よく、アレン・ギンズバーグを貶すようなことをエッセイで書きつつ、うっかり「敢えて言おう。現代において、ギンズバーグはホイットマン以来のアメリカにおける最高の詩人だ」と発言するような傾向があったので。
逆に挑発に乗って詩を書いたカーヴァーは精神年齢が幼かったのか、とも妄想できる。
改めて読み返したかった短編を読み終わり、用意された映画雑誌を手に取ると、ロバート・デ・ニーロのインタビューが掲載されていた。刑務所についてだ。
「本来、刑務所に入らなければならない人間が沢山いるのに収監されていない」
こんな内容だったと思う。
なんだ、日本だけかと思ったら、アメリカ、いや、どこの国でも同様か、と。
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