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それでも君を

2010年10月05日 21:42

【今日の記事はエピソードの元ネタを失念した箇所多々あり。】

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。
あー、CDラック漁ってたら、シン・リジィのラスト・ライブ盤が出てきました。
『BBC RADIO ONE』シリーズ(BBC RADIO 1は色々なアーティストのライブ音源の権利を所有しているようで、ラジオ番組内のスタジオ・ライブからフェスティバルまで多岐にわたる。そのため、ひっそりリリースされて廃盤、プレミア価格がつくことが多い。)の一枚で、こりは本当のラスト・ステージを収録しているだけじゃなく、選曲や演奏も素晴らしいとこに価値があります。
でもなぁ、一万二千円近い値で売る店、アタマ大丈夫か?っつー。

 本作の他、解散ツアーのハイライトを収録した『ライフ』もありますが、それと音源が被ってねー記憶がずっとありまして、手元にある国内盤のブックレット読み直して理由を思い出しました。
シン・リジィは1983年春に解散ツアーを行い解散したものの、「諸般の事情により」同年八月に行われたレディング・フェスティバルに出演せざるをえなかったと解説が書かれております。
なんでも、フィル・ライノットは、解散ツアー時から体調不良により苦痛に耐えてたそーなんで、それでもフェスティバルの目玉として鬼気迫る演奏をやってのけたのはスゲーです。

 折角、十数年ぶりにラスト・ライブを聴いたんで、シン・リジィもといフィル・ライノットについて、持ち合わせてる情報だけですが、色々書いてみてーと思います。
彼のニックネームは「キング」もしくは、初期の代表曲から「ザ・ロッカー」だそーです。
よく触れますが、日本じゃメタル色の強い『サンダー・アンド・ライトニング』が一番人気なんで、それ以前の影響力とかあんま知られてねーです。
アイルランド出身で、彼より成功したミュージシャンはいますが、まあ、故人ってこともありつつ銅像まで作られたのは今んとこ彼だけです。
philip_lynott_dublin_statue.jpg

 シン・リジィのデビューからブレイクまでは長くなるんで割愛しますが、『ファイティング』、『脱獄』と傑作を発表し、海外でも知られるよーになった頃、フィル・ライノットは祖国で活動しているミュージシャンにアドバイスする兄貴分だったそーです。
そん中で成功したのがU2ですね。シン・リジィどころじゃねー、偽善臭ぷんぷんする巨大バンドにまでなっちゃいましたが。
あと、イギリスでブレイクした直後の『ナイト・ライフ』からツイン・ギター体制になりましたが、ときにアイルランド民謡のエッセンスを、ときにポップなメロディをハモるスタイルは斬新だったと思います。
メタルだとアイアン・メイデンが影響受けたんじゃねーですかね。

 一応、日本じゃハードロックやメタルに区分されてますが、フィル・ライノットはかなり柔軟性を持ったしとだったみてーです。
『詐欺師ジョニー』とかでうかがい知れます。この作品は早すぎな音ですねぇ。
なので、交友関係も様々で、有名どこだとヒューイ・ルイスと仲が良かったみてーで、彼はシン・リジィの代表曲「ヤツらは町へ」をカヴァーしてます。

<The Boys Are Back In Town/Huey Lewis>


他、セックス・ピストルズと共演してクリスマス・ソング弾いて歌ったり。

 デビュー期に日本でだけ売れたのがいかんかったか、今時ボン・ジョヴィっつーと苦笑されます。
でもですね、彼らが『スリッパリー・ホエン・ウェット』で成功して、スケール・アップしたサウンドで発表した『ニュージャージー』はポップ・ミュージックに大きな一石を投じたと思ってます。
数万人規模の会場で演奏してきたバンドは多々あれ、スタジアム級の会場でこそっつーサウンドは『ニュージャージー』から始まったと思ってます。
並行してエアロスミスもそんなサウンドで見事に復活しましたし。『パンプ』を聴いた後、『ドロー・ザ・ライン』聴いて「え!?」と驚いた中学生の僕がいます。
んで、大成功して確固たる地位を築いたボン・ジョヴィは、リーダーのジョン・ボン・ジョヴィ初のソロとして『ブレイズ・オブ・グローリー』を発表しました。
このアルバム、伝説のガンマン、ビリー・ザ・キッドをテーマにした映画『ヤング・ガン2』のサントラ的な売り込みもありました。
大成功して、このアルバムをリリースしたことに対し、確かブルース・スプリングスティーンだったと思いますが、皮肉ってました。
「ジョンはニュージャージー出身なのに、なんでカウボーイやガンマン気取りのアルバムを作ったんだ?」みてーな内容です。
本来無縁な世界観の作品を、話題作の続編とタイアップしてリリースすんのは売名行為じゃねーかっつーわけですね。
が、実はジョン・ボン・ジョヴィはカウボーイ大好き。

 ジョン・ボン・ジョヴィが西部に憧れたのは、シン・リジィのThe Cowboy Songを少年時代に聴いたのがきっかけらしーです。
ま、「俺ぁカウボーイみてーになってだな、ネーチャンに乗ってロデオしまくりてぇ」っつーセクシャルな表現もある曲ですが。
んで、ボン・ジョヴィは『ニュージャージー』のツアー以前から演奏してたよーですが、彼らもまた「ヤツらは町へ」をライブでカヴァーしてます。
昔、長期に渡った『ニュージャージー』ツアーのドキュメンタリーを観たんですが、ツアーの途中か終着地か、地元でのライブで演奏してるシーンがありました。

<The Cowboy Song/Thin Lizzy(Live)>


 1980年代初頭にデビューしたタイガー・オブ・パンタンのギタリスト、ジョン・サイクスは、バンドを脱退してシン・リジィのラスト・アルバム『サンダー・アンド・ライトニング』と解散ツアーに参加、その後、ホワイトスネイク、自身のバンド、ソロと活動を広げていきます。
LS.jpg

なんでも、ジョン・サイクスは、我の強さからかシン・リジィに加入しては脱退、フィル・ライノットと仲悪いかと思えば親友であることは変わらずシングルを共作していたゲイリー・ムーアに衝撃を受けたそーです。
んで、ゲイリー・ムーアが出入りしてるだけじゃなく、1970年代後期に世界的に有名だったシン・リジィが、オラが町に来るっつーんでハコに駆けつけたそーです。
が、貧しいギター小僧は金も無く、ハコから漏れてくる音だけでも聴こうと思っていたと。
ほいだら、両脇にでらぴんなネーチャン二人を抱えたフィル・ライノットが現れ、ファンであることを告げると、ライノットはスタッフにテメーの金を握らせ「この坊主を中に入れてやれ」と。
いい話ですね。
その後、プロとはいえドカチンしながら活動してた頃にフィル・ライノットから「一緒にやらないか?」とアプローチ。
泣けます。あの時の貧しい少年が才あるギタリストと見込んで連絡したんじゃねーかと思っちゃいます。
当時を振り返り、ジョン・サイクスは語っておりました。

「フィルは俺のことを覚えていなかったよ」

泣ける!

 されとて、柔軟性に富んだフィル・ライノットは、ジョン・サイクスのシングルに参加し、ホテルの一室に籠もって『サンダー・アンド・ライトニング』に向けた曲作りを始めます。
どっちが真相かわかりませんが、1980年代に入りメンバー間の軋轢やフィル・ライノットのドラッグ問題、ソロ作不発等々で、『サンダー・アンド・ライトニング』は制作される予定じゃなかったそーです。
制作せざるを得なかったのは、レコード会社との契約のためっつーエピソードと、ライノットが「良いギタリストを見つけてきた。コイツを加入させてあと一枚作ろう」っつーエピソードがあります。
因みに、フィル・ライノットは元々ギタリストです。
でも、ジョン・サイクスの回想によると、作曲はベースで行っていたそーです。
シン・リジィの、特にバラードはジャズなんかじゃねーと耳にしねーギターの和声があるんでびっくりです。
この点について、サイクスは「フィルからは、多面的に曲を作る方法を教わったよ」みてーなことを言っとりました。

 僕がシン・リジィを好きな理由の一つにバラードの素晴らしさがあります。
しかも、バラードって歌唱力がものをいうサウンドなんで、狭い声域でしっとり聴かせるのはスゲーなぁ、と。
ゲイリー・ムーアと共作した、生涯会えなかった父親にあてた「パリの散歩道」とかね。

<Parisienne Walkways/Thin Lizzy(Live)>


最も有名なのは、同じくゲイリー・ムーアがギターを弾いてデュエットした「それでも君を」ですが。
こり、秀逸な邦題だと思います。
シン・リジィって「ヤツら~」シリーズとかひどいのありますから。
「ヤツらはデンジャラス」とか、どんだけ危険やねんっつー。
これが「今でも君にト・キ・メ・キ」だったら発狂もんです。
ただし、『ナイト・ライフ』収録のスタジオ版はギターは素晴らしいですが、まだゲイリー・ムーアの歌が青臭くて、フィル・ライノットの色気に負けてますが。

 お話最初に戻って、シン・リジィ最後のステージは、Whisky In The Jarでもなく、The Rockerでもなく、フィル・ライノットの「これで最後だ!”それでも君を”」っつーMCの後、九分を越える長尺バージョンでしっとりと終わります。
このね、なんだろ、男から見て「何人の女泣かせたんだ?」みてーなとこに粋だねぇ、と。
なお、この後、フィル・ライノットはニュー・ウェーヴなサウンドのバンドのデモを制作、体調を大幅に崩し頓挫します。(一説に契約してくれるレコード会社が無かったとも。)
んで、親友ゲイリー・ムーアがカムバックに手助けします。
雑誌の写真はメイクやらで誤魔化したと思いますが、ライブ映像見るとかなりやつれてます。
この翌年、敗血症で他界しちゃうんですが、個人的にですね、映像はねーものの痛々しい姿でステージにあがるゲイリー・ムーアとの共演より、レディング・フェスティバルの「それでも君を」をフィル・ライノットの最期のステージとして記憶にとどめておきてーな、と。

<Still In Love With You/Thin Lizzy(Live)>

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