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一年振り返ろうと思ったら人生を振り返ってしまった

2009年12月26日 20:40

 こんつは、ハンキー・ドリー・ハンクです。


あー、一年を振り返ろうと思ったら、あるきっかけで色々振り返っちゃいました。


僕ぁ家庭の事情が影響してると思いますが、金に執着心が薄いです。執着心っつーか、信用してねーんです。


なので、稼いで消費するとか貯蓄するとかっつーのに一所懸命になれねーという。


でも、「実家は貧乏なんだ」という自覚は中学の頃くらいからありまして、ちょっとしたコンプレックスになってると思います。


たまに、僕から見ると大層な生活環境で育ったり暮らしてるしととの会話で「いや、俺んち貧乏だからさ」とか言うと「ウチだって全然お金持ちじゃないよ!」と返されることがよくあります。


こりは、僕の「貧乏だから」という言い方と表情に妬みが出てるからだと思います。ああ、コンプレックスになってるんだ、と。自分じゃ自虐的な笑い話だと思ってるんですが。


で、僕ぁ都会における経済的生活水準を知ったわけです。





ろくでもねー家に生まれましたわ。





 僕が知る限り、僕の曾祖母はお人形さんみてーな美貌の持ち主で25歳だかで病に倒れてます。


んで、曾祖父は祖父を見捨てて現北方領土で一山当てました。結局、終戦後ロシア領になっちったんで戻って来たらしいんですが。


祖父は尋常小学校もまともに卒業してねー奴でございまして、二度出兵して功績をあげ、中野陸軍軍事学校の仕事に就きました。射撃とゲリラ戦の腕を買われ、本土決戦に向けての特殊部隊に抜擢されました。


一度目の出兵前に撮影された写真を見ますと、今でも超美男子です。恐らく、曾祖母の遺伝です。だからか、父方の家系は彫りの深い端正な顔立ちの親族が多いです。


親に見捨てられた祖父は、養子になった家の娘と結婚しまして、その間に生まれた子の一人が僕の親父どんです。





 終戦後は、祖母が菓子屋をやり、祖父が各地で稼ぎ、長男の親父どんが中学を卒業するとスパルタンに働かせました。


祖母が料理上手だったのは菓子屋だったからなんだと知りました。


稼ぐ傍ら、祖父は無利子の金貸しや無償の人助けをして、地元の若い衆から尊敬されてたそーです。尊敬っつってもヤクザもんとしてですが。


その証拠に、祖母はよく「今でこそ酒も煙草もやんねっけども、昔は女癖は悪ぃ、酒は飲むで今よりろくでなしだった」と愚痴ってましたから。頭にきて、祖父に食わせる飯を炊くときに小便入れたほどだったそーです。


大体、僕ぁ博打に弱ぇんで、パチンコもスロットもやらず、麻雀だってあんまルール知らねーのに花札だけはルールと勝負どころをガキの頃に教えられたあたり、ろくでもねー家だったことがわかります。


昔は近所のヤクザ衆やらを集めて賭博場もやってたみてーです。


あ、ヤクザっつっても今みてーなもんじゃねーですよ。よく言えば無頼漢みてーな筋の通った方々です。





 戦争と戦後の動乱期に成り上がったものの、長男の親父どんがお袋どんと結婚する際、母方の実家は大反対したそーです。


母方は九州の武家がルーツで勤勉、片や父方は富山衆(通った後はぺんぺん草も生えてない、と形容された行商。)をルーツで、その後は上述のとーりです。


父方も「あんなお嬢さんにかまどを任せられない」と反対したそーですが、母方は「箱入り娘をあんなヤクザもんみたいな家にやれない!」と大反対です。


結局、親父どんとお袋どんの熱意に負けて結婚したわけですが。


結婚したはいいが、子供ができねーという。親父どんの姉や弟妹は、今で言う出来ちゃった婚なのに。


んで、出来ちゃった婚っつーのは金が必要ですから、半分諦めてた親父どんは、僕の従兄姉の養育費を工面したり、一人は祖父母の養子として迎えました。


叔母とか読んだら怒るでしょーが、まるっきりチンピラ風情な生き方です。いや、実際、親父どんの姉にあたる叔母が旦那と子供らを捨てて、その筋の方の情婦になったらDVで殺されましたから。


僕ぁ今でも鮮明に覚えてます。祖母に預けられてた小学校の頃です。深夜に電話が鳴りました。


「アンタ、動かねぐなったってどういうことさ?...違うべさ、殴って打ち所悪がったんだべさ!」


祖母と叔母の情夫のやりとりが聞こえてきました。


フツーなら、殺人罪で起訴されるもんだと思いますが、結果は「蜘蛛膜下出血による病死」と診断されました。





 いい扶持だった親父どんに子供ができたことは、叔母らにとって面白くなかったよーです。


そして、従兄姉らは盆や正月に表面上は仲良く遊びながら、僕を憎らしく思ってたよーです。疎外感を感じましたから。


子供は親が「アイツは○○だ」と言えば信じます。僕ぁ燃えるゴミん中の燃えないゴミみてーなもんですね。


そーです、僕のおかげでチミらが食う飯のクォリティが下がったんです。ウハハ!





 僕ぁ疎外感からか成長するにつれて内省的で本を読んだり絵を描くことに楽しみを見いだすよーになりました。それを見た祖父は喜びました。


祖父は学歴はねーものの、達筆で漢詩や古典に造詣が深く、高山植物の管理に精通してるっつー面もありましたから、ヤクザもんみてーな同じ轍を踏んで行った歳の離れた従兄姉に混じって、遅れて生まれた僕がそーゆー風に育っていくことを喜びました。


病死扱いにされた叔母の息子は似たよーな道を歩んでます。今、どこで何をしてるか知りませんが。


でも、僕だって似たよーなもんです。漁師あがりでドカチンの倅ですから。





 親父どんは土木作業員っつー肩書きでしたが、ありふれた作業から鍛冶仕事、鳶仕事、隧道工事に優れた職人でした。


僕も実際ドカチンやってましたが、これらを人並み以上の技術で全部こなせる若い衆はあんまいねーです。最下層の職業だとしてもですね。


小学校の頃、クラスで「お父さんの仕事を答えなさい」っつー学級会みてーなことをやったことがありました。


僕ぁ胸をはって「僕のお父さんは土方です」と答えました。アホですね。


でもね、実際やってみてください。隧道工事に限っても、地質を判断した土留めの仕方や、掘り進む段階でその向こうがどうなっているか目と耳で見極めるのは難しい、いや、できねー奴は一生できねーもんです。


それだけじゃねーです。漏水があったら、どう止めるか?ポンプで吸い上げられないほどの水はどこへ流すか?とか、瞬時に判断して大勢で動かなきゃならんのです。脳みそ筋肉が集まってやってるわけじゃねーんです。理論的に技術を理解して、なおかつ直感と経験で動ける人材が指揮をとらねーとできねー仕事なんです。


んなわけで、僕ぁ「僕のお父さんは土方です」と答えた六歳のときのことを恥ずかしいとは思ってねーです。


六年半前、ドカチンだった頃の自伝小説を何も考えずに毎日書いてアップしてたことがありましたが、今読むと「なってない!」と思うとこや「事実を書きすぎ」って部分が多々あるんで、改めて脚色したもんを書いてみよーかと思います。でも、書き終わるまで誰にも見せねーですよ。
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